わたしの好きなドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスにこんな言葉があります。「すべての見えるものは、見えないものに触っている」。この言葉に出会ったとき、わたしは思わず詠嘆の声を挙げました。なぜなら、この考え方は東洋哲学、特に仏教に深く通底していたからです。
仏教の経典『般若心経』には有名な「色即是空 空即是色」(しきそくぜくう くうそくぜしき)があります。これは仏教の中心に色の概念があることを意味しています。
ただし、ここでいう「色」はサンスクリット語で、かたちづくると壊れる、という両方の意味を抱えています。簡単にいうと色とは目に見える物質現象のことだと理解してください。
翻(ひるがえ)って、「空」は空っぽという意味ではありません。すべてのものを生みだし、すべてのものは源にかえっていくという状態そのものをいいます。別の言い方をすると存在し、しかし存在しないという流動状態です。色とは対照的に目に見えない超現象です。早とちりはいけません。オカルト現象ではありませんよ。
ではこのふたつを理解しながら「色即是空 空即是色」を考えてみましょう。
「色即是空」はカタチのあるものは次の瞬間カタチのないものへと変化し、しかし、次の刹那(せつな)「空即是色」と言葉がひっくり返って、カタチのないものはカタチのあるものへと流転するという意味なのです。
ブッダの言葉でいえば「諸行無常」。『平家物語』の中心にある考え方ですね。古代ギリシアの哲人ヘラクレイトスが「万物流転(バンタ・レイ)」といっていますが、基本的には同じことです。
ところで日本には「うつ」というおもしろい言葉があります。うつは「空」とも「虚」ともつづります。器とは実はこのことで、空っぽの状態をいいます。
しかし、ここがすごいのですが、器は単に空っぽの状態をいうのではなく「うつつ(現)」に通じていて、ある=be、充満している状態に限りなくつながる。要するに、「うつ」と「うつつ」の関係は「色即是空 空即是色」で、冒頭のノヴァーリスの言葉そのものなのです。
実はこのことは量子力学という科学の考え方に通じています。紙幅関係で説明できませんが、興味のある方は「シュレーディンガーの猫」という現象を調べてみてください。
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