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その三 うつとうつつ

 前回は「うつ」と「うつつ」についてすこしだけふれました。うつは空とも虚とも書き、うつつは現であり、この両方が、器につながるという話しで結びました。器はもともと食器というモノではなく「状態」なのです。 
  ではどういった状態をいうのでしょうか。まず空っぽの入れ物を思い浮かべてください。そこにガサゴソと音を立てながら神がやってくる。神は音を伴ってやって来ますから「音連れ(訪れ)」でしたね。しかし次の瞬間、神は去ってしまう。こういう状態がうつでありうつつなのです。
  賢い読者は、いや、うつが空っぽで、うつつが何か入っている状態ではないか。混同してはいけないと指摘されるでしょう。
  そう、その通りともいえるのですが、ここがそう簡単な話ではないです。なぜかというと、うつには既にうつつの感覚が、一方、うつつにはもともと、うつの状態が分かちがたい状況で入り込んでいるからです。
  べつの言い方をしてみます。
  空虚とは何もない状態をいいます。nothingでblank でboidでemptyでvacantです。しかしまったく同じ言葉が虚空(こくう)とひっくり返っただけで、とたんに遍(あまね)く存在するという意味になります。everythingです。万事とか万象とか全部とか総ての感覚です。
  今度は視覚現象から説明してみます。
  いま、目の前のコップになみなみと無色透明の水が入っていたとします。それを遠くから見たら、もしかしたら、空っぽに見えるかもしれません。そうです、この感覚が、うつであり、うつつなのです。人は変化の量でものごとを知覚しているのです。変化しないモノはあるかないかうまく判断できないのです。こういった知覚できない状況がうつであり、うつつなのです。
  さて、うつはまたあの世につながる考え方です。彼岸とも冥土(めいど)とも黄泉(よみ)ともいいます。うつつは、現世で此岸(しがん)とも穢土(えど)ともいいます。
  この両世界の間を流れているのが三途の川。ときどき二河白道(にがびゃくどう)と混同されている方がいますが、こちらは西方浄土、いわゆる極楽へ向かう細い白道の両側を流れている恐ろしい火の河、水の河のことです。


(07/05/12号掲載)


 

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