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その六 花と拝

 花。もとの字は「華」と書きます。花々が一本の茎に咲き乱れている様を、象(かたど)ったもの。一見なんの関係もなさそうな「拝」という文字は、その花を、腰をかがめて抜いている象形文字です。このことから拝は、「ぬく」とも読みます。
  また花を抜いているその姿勢が神仏に祈念している姿に似ていることから、礼拝や三拝九拝というふうに用いられています。
  さて、突然ですが問題です。『万葉集』に登場するいちばん多い花とはなんでしょうか。梅ですか?それとも桜でしょうか。
  答えは、なんと「萩(芽・芽子)」。約四千五百首ある歌の中で、だいたい百四十首に萩の言葉が使われています。ちなみに次が梅で約百二十首。梅と答えた方も多いでしょう。
  興味深いことに、梅は『古事記』や『日本書紀』にはただの一度も登場してきません。万葉集においても、710年に都が藤原京から平城京へと遷都したころから登場しはじめます。これは梅が、八世紀を前後して、大陸から渡って来たことを意味しています。
  梅と云えば、もうひとつ思い浮かべるのが梅雨。梅は春の季語ですが、なぜ夏の入り口に梅雨なのか。
  梅雨という言葉はもともと中国から渡来した言葉で、日本の入梅のころ、中国ではちょうど梅の収穫時期、その梅に元気を与える雨という意味で、梅雨が使われ出したことに端を発します。梅雨は「さみだれ」とも、「卯の花腐(くた)し」ともいいます。
  話は変わりますが、わたしの大好きな生け花作家に、中川幸夫がいます。その中川さんは書や絵画にも達者で、「花楽(からく)」というシリーズを展開されています。 
  花の汁から絵の具を造り、それで絵とも文字ともつかない作品を描く、それが花楽です。花の汁で描くのですから、永い年月のうちにそれは退色し、やがて紙上から一切の痕跡が消え失せてしまう。
  さてこそ作品を観る者は、かつてそこに咲き誇っていた花を心に思い浮かべなら、絵と向き合うことに価値が生まれる。消え失せてしまってから、本格的な鑑賞がはじまる。「面影」です。
  まさでに、この絵は生け花そのものなのです。高価な絵が、年を経ることで跡形もなく消え失せてしまう。それに不満を覚える方には、この作品は不似合いなのでしょう。



(07/06/30号掲載)


 

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