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その九 老人と歌

 杖を器に打ちつけ、大声で祈っている老人を想像してください。実はそれが「歌」という文字の原形です。 
  歌の左部分である哥は木の杖で器を打ちつけ神の「(許)可」を得ている様を表わす。
  一方、右の欠(あくび)は、神に許可を求めて大声を出している老人の象形文字です。この大声を出しているようすが、歌うことにつながったのです。
  歌うという行為は、もともと神と接するための手段であり、呪歌であり、これこそ「言葉」そのものだったのです。
  もう一つは「歌う」と「(リズムをとって)打つ」の音が似ていることから、両者は源が同じだという説もあります。そう考えると、「拍つ」や「訴(うつた)う」なども、きっと同根でしょう。
  ところで、歌と大いに関係のある言葉に「曲」があります。これは植物に力を加えて変形させ、編んだ籠の形が原型で、それが「曲がる」の意味になります。音楽の曲は、歌の節回しを云うのです。
  また「音」は、もともと「言」と同じカタチから出発しており、日や口の部分は神の言を入れる器、上の部分は刺青を刺す針の象形です。神の掟に背いたり、偽りをもって接すると刺青の刑に処された古代の祭式、風習を表しています。  
  「闇」もまた音に関係する言葉です。夜更けに神棚や神社の扉の中から、神が音を伴ってやってくることから、門(扉)に音の字が添えられたのです。
  そもそも、日本の音、音楽は、農業や漁業、祭(祀り、奉り)の中でカタチを整えてまいりました。その中における体の動かし方や発声方法が芸能の発展につながります。
  これらはみな、雅楽、猿楽、能、歌舞伎、あるいは長唄、小唄、端唄、常磐津、さらには「よさこい」「どんどん」などの囃子詞、そうして、このもかのも、J鳳OPへも流れ込んでいくのです。
  わたしは「音色」という響きに、いつもどこかへ連れ去られそうになります。音が色をまとって分かちがたい関係にある、これぞ豊葦原の瑞穂(みずほ)の国の感覚なのです。「心音」などもきれいな響きですね。
  また歌うことを、「口遊」と書いて、口ずさむと読ませる。遊ぶはすさぶと読み、単に英語のplayという意味ではありません。荒ぶる状態を含んでいるのです。
  それではまた音。


(07/08/18号掲載)


 

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