山は、不動の意味でヤム(止)が転じたもの。漢字の山は、山々が連なっている象形文字です。
そこは古来より、神々が棲む神聖なる場所でした。修験者や道々外才人(みちみちげざいにん)、あるいは山師と呼ばれるネットワーカーたちは、この山を舞台にもう一つの日本の歴史を刻んできました。
山師といえば、今でこそ怪しい人々を云うのですが、もとは山のことを何でも知っている特殊能力を持った民をそう呼んでいたのです。聖(ひじり)のことですね。
聖は「日知り」で特別の日を知っていた人々。彼らが操っていたのが、暦で、暦はそもそも「日(こ)読み」。この日に台風が多いから気を付けなさいとか、この日には種をまきなさいとか、太陽がある季節のある角度に差し掛かったときに、ご神木の陰の落ちているところに銀の鉱脈があるとか、そういう特別な日を知っていたり、あるいは亀の甲羅や鹿の肩胛骨を用いて吉凶を占い、アドバイスしていた人々です。
ところで、古い神社では、その背後にある山が神そのものでした。例えば奈良は桜井市にある大神(おおみわ)神社は我が国最古の社ですが、この神社には本殿がありません。代わりに、ご神体は神社の背後に控える三輪山そのものです。
こういう山は「神(かん)なび山」と呼ばれ、そこに共通するのは円錐です。この円錐こそが神々が宿る山のカタチなのです。中でも、もっとも名高いのが富士山ですね。
他にも円錐形を象(かたど)った加茂別雷神社の拝殿前に造られた立砂は、神が降りる山の見立て(依代・よりしろ)としてあまりにも有名です。
時代がどんどん下っていくと、神社にも神を祀るための本殿ができはじめます。出雲大社の「大社造」、伊勢神宮の「神明造」、住吉大社の「住吉造」がその代表です。
季節はずれの話で恐縮ですが、山に棲む神は、桜の季節になると、田に降りてきます。しかしいきなり田に入らず、桜の木にいったん寄りつく。そうして桜を咲かせます。桜の語源は、サ(霊)+クラ(器)です。
ところで、その山が笑ったり、眠ったりするのをご存じですか。いえ、宮崎アニメではありません。「山は笑う」は春の季語。そうして「山が眠る」季節は、そう、冬ですね。
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