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その十七 

 道という言葉は不思議です。なぜ、道に首の字が入っているのでしょうか。え、北海道って道なんですか。わからないことがいっぱいですね。
  それをご説明する前に中国の思想家・老子の言葉を引いてみます。意訳はこんなふうです。 
  「これはあらゆる物が混じり合って成り立っている。これは天地よりももっと先にあった。音もなく、形もない。ただこれだけあって変化もせず、薄まって消えてしまうこともない。これこそが万物の母。名前をつけて良いのかわからないが、仮に“道”という。強いて名付けるなら“大”という」。
  これが老子のいう道の概念です。道は母なる根元的なもので、天地に先立ってあったものだと云うのです。そうして、それは本来なら「大」と名付けるものなのだと。
  この場合の老子の考え方は道路という意味の道ではなく、道教(タオイズム。老子、荘子の系譜)で云うところの道なのです。
  道教の教えでは、宇宙に広がっていて人が自然と動かされている根元的なもの、それを道というのです。
  一方、日本で道は、(侵略する相手の)首を下げて歩いている状態を象形化したものです。まだ踏み込んだことのない相手の空間、そういった場所には、祖先の霊がいて侵略者に悪さをする。そこでその霊を封印し、鎮めるために相手の首を持って歩いたのです。その行為を「導く」といい、祓(はら)い清められた道を「途」とよんで区別しました。
  意味の似た言葉に「遊」という文字があります。遊は旗竿を立てて未知なる場所へ出かけていく姿を表しています。柱、榊、花笠、そういったアンテナ状のもの(まとめて依代=よりしろという)には神が宿ったのです。
  その代表的なものが旗です。少し厳密に言うと、旗を持った人間が進み行くというよりも、神が行くという感覚です。旗は神の乗り物なのです。
  戦国時代にも多く見られる戦場へと携える幾種類もの旗にも、祖先霊や神々の叡智を借りるという意味があったのです。
  さて、北海道とはどんな道でしょうか。いや、そんな道は聞いたことがありません。元々道とは、ある空間のことを指していて、真っ直ぐにのびている道路のことではなかったのです。




(07/12/8号掲載)


 

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