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その二十三 あきらめる

 わたしたちが日常使っている「諦(あきら)める」という言葉は、本来でいえば、まったく諦めていないのです。何を言っているのかって?まあまあ、聞いてください。
  「諦める」の古語は「あきらむ」、漢字で書くなら「明らむ」。そうなのです。諦めるの語意は明らかにすることなのです。
  物事を追究し、明らかにしていくこと。明らかにしたからこそ、追究をいったん止めた状態、それが諦めるの原義です。何もしないで降参することではありません。
  さて、このように時代とともにその語義が変化したり、あるいは現在誤って使われることの多い言葉を挙げてみます。
  最近気になるのは「こだわる」という言葉の使い方です。
  もともと、こだわるというのは、些細なことに気を奪われてしまうことです。
  それが近年、細かなことまで気を配る意味になり、プラスイメージで使われはじめました。食べ物の鮮度や産地にこだわる、といった使い方です。
  「やおら」という言葉を、スピードを伴って体を動かすことだと思っていませんか。本来はゆっくりと体を動かすことです。スピードを伴った動きは「押っ取り刀」。「おっとりと構える」のおっとりではありません。それは「押し取る」ことで、「おし」は接頭語、無理に奪うことなのです。
  「触り」という言葉はいかがでしょうか。「小説の触り」といえば、どの部分を指し示しますか。「小説の書き出しの部分」と思っている方、いらっしゃいませんか。触りとは、義太夫節から出た言葉で、曲中のもっとも聞きどころをいいます。けっして最初の部分ではありません。
  「煮詰まる」に至っては、作家ですら最近逆の意味で使うことが多くなりました。議論が煮詰まる、というのは本来ならば、議論し尽くして、結論を出せる状態をいいます。それが、思考能力が停止し、意見がつまってしまったような状態をいうことが多くなってきたのです。
  言葉というのは、社会の中で使用率がより高まった側が優先され、使われることが多くなります。この「煮詰まる」は現在まさにそのただ中にある言葉なのかもしれません。
  この機会に「全然」「一姫二太郎」「気の置けない」「役不足」なども調べてみてください。




(08/03/15号掲載)


 

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