こんなときに雨が降ってくれたらいいのに。そんな願いが通じるときがあります。
恋人や大切なお客様が帰ろうとするときに、急に降ってくる激しい雨、これを「遣(や)らずの雨」といいます。帰したくない、外へやりたくない、そんな願いが天に届くのでしょうか。とにかく裸足で飛び出して行って、相手を引き留めたいときもありますね(笑)。
そうそう、裸足で思い出しましたが、なぜ私たち日本人は、靴を脱ぐ文化なのでしょう。そこには畳の存在が大きくかかわっているのではないかと、わたしはにらんでいます。
日本では仏教が輸入される前は神道が中心で、その儀式には米や藁(わら)を多用しました。先人たちは、米には神が籠(こ)もっているとみたのです。民俗学者の柳田国男の語源説を借りれば、この籠もるが転じて米になったのです。
米を収穫し、そのあとに残る稈(かん)と葉を指して藁と呼びますが、この藁を使って、そこに藺草表(いぐさおもて)を縫いつけたものが畳です。言ってみれば、畳というのは、神様の鎮座まします米や藁がカタチを変えたものです。そこへ土足で上がり込んでしまうほど日本人は鈍感ではありません。
一方、藁は人間の足によって踏みつけられるわらじに使われたことも事実ですが、わらじを履けたのも最初は身分の高い者だけでした。きっとそれは神事などのハレの日に使われた装束だったのでしょう。
蛇足ですが、今は靴擦れといいますが、昔は「わらじに食われる」という言い方をしました。それから藁は和良ともつづりました。こういった言葉を切り出してくる作業はすばらしいですね。
きっと私たち日本人は、もともと神聖なる存在に近づいたり、あの世へトリップする際に靴脱ぎ行為をしたのです。それでなければ、あの世に旅立つときに靴をそろえて脱いだりしませんね。
ちなみに靴の原型は既に古代エジプトにあり、ヒールは16世紀の欧州に誕生しました。
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