相手に対して自分を指し示すとき、鼻に向かって人さし指をあてませんか。もしも自分を象徴する魂や心が心臓にあると考えるなら、そこを指して「わたし」と呼んでもよいのではないか。しかし実際はそうではありません。ちょっと注意深く「鼻」という文字を観察すると、なるほど自分の「自」という文字が入っていることに気づきます。その鼻という漢字を分解してみると、「自」は正面から見た鼻のカタチの象形、それ以外の部分を「ひ」と読んで、鼻息を表します。
中国の俗説では、人は体内で鼻からカタチづくられ、鼻から生まれてくると言われていて、従って、元祖のことを鼻祖(びそ)といいます。
鼻息で思い出しました。そもそも「命」というのは、「息内(いのうち)」あるいは「息の道」が代表的な語源説です。いずれにしても、「息」は「生き」であり「意気」だったり「勢い」に通じていることに間違いありません。
ところで、「息子」や「息女(娘)」にも息という文字がつきますが、これをどのように解釈したらよいでしょう。わたしはこれを、息がつながっている、命を継承している人だと解釈しています。このシリーズの二回目にも書きましたが、実は「蒸す(生す)」は「息子・息女」とも大いに関係している。息は「生きる」とつながる大変重要な言葉なのです。
それでは、反対に亡くなることを「息をひきとる」と言いますが、これはだれが息(生き)というものを引き取っているのでしょう。親子関係で考えると、それは亡くなった親に対して子どもが親の息(生き)を引き取っている。と同時に、先祖に息を引き戻していると解釈するのです。少しややこしいですね。大丈夫ですか。
日本語では生に関する言葉より、圧倒的に死に関する言葉が多い。これは、日本文化が生の文化よりも死の文化を特別に考えてきた証拠です。死は生につながる大切な出来事です。ちなみに黄泉(よみ)のくにから帰ってくるから「よみがえる」ですよ。
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