呑んでいうんじゃございませんが、とびっきりの美女にご飯をよそってもらうと、ついつい食が進んでしまうものでございます。近ごろでは、こういったことを言うとすぐにセクハラだ、やれ男女差別だとしかられそうですが、まあまあ、お待ちなさいな。
もともとご飯をよそう、というときの「よそう」は「装う」ことと同じだったのです。ご飯をよそうのは、女性の美意識を表現する最高の仕事だったんですね。神の恵みのご飯をいかに美しく椀(わん)に盛るか。これには男性よりも女性のセンスが必要だったんでしょう。たぶんご飯を盛るという行為は、神事の際の巫女(みこ)の仕事だったのではないでしょうか。いずれにしても、ご飯を美しく盛るには手の動きが重要なポイントになります。
ところでその手ですが、奈良時代前までは、「えだ」と呼ばれていました。なんと足も「えだ」でした。これはまちがいなく植物の見立てでしょう。考えてみると、花、芽、葉、実、萼(がく)は、それぞれが、鼻、目、歯、耳(実が二つで耳)、額(ひたい)と対応していることに気づかれるでしょう。きっと古(いにしえ)の人々は、植物の持つ不思議な力にあこがれを持っていて、自分たちも植物になりたがっていたのではないでしょうか。
では人々は植物の何にあこがれを持っていたのでしょうか。それは生命の長さだと思います。とくに樹木の生命の長さに、人々は神をみたのです。榊(文字の中に神がいますでしょう)や松などの常緑樹に神がやってくるのだと考えていました。そのとき必ず枝や葉をふるわせ、音を伴ってやってくる。だから神々の訪れを「音連れ」とつづったりしたんですね。日本の神々はやってくる神。これを「まれびと」(稀に来る)とネーミングしました。
さて、最後に一言だけ付け加えておくと、今回の書き出し「呑んでいうんじゃございませんが」は歌舞伎の演目『魚屋宗五郎』の有名な台詞。この台詞を言うときの役者のえだ(そう、手ですね)が美しくて、美しくて。
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