「ものものしい」「もののあはれ」「もののけ」「ものがなしい」「ものさびしい」というときの「もの」って、いったいなんでしょう。ものというのは、目に見える物質のことではなかったのでしょうか。
しかし、ここに挙げた「もの」が付く言葉は、いずれもどちらかというと、その場の空気感とか、人の気持ちとか、行為を表している、目に見えないもののように思えます。
一方、「こと」も、ちょっと考えてみるとやっかいです。「ことば」「ことわざ」「ことだま」、それから「ことわり」といった言葉がすぐに思い浮かびます。私たち現代人は、「こと」を「もの」よりも行為をイメージする単語としてとらえています。しかしここに挙げた例はどちらかというと、「もの」寄りの「こと」にみえます。ということは本来「もの」が「こと」で「こと」が「もの」で…。
広告を生業としている人やまちづくりにかかわっている人たちは、「モノの時代じゃない。コトの時代だ」といった言い回しをよくします。この発言の根底には、高度成長期以来の物質偏重主義への批判があり、物(製品)の時代から、今は心や気分を大切にする時代だということでしょう。「モノより、思い出」(日産セレナ)という広告のコピーが時代をよく言い表しています。
実は、古(いにしえ)の時代には「こと」は「事」であり、同時に「言」でもあったのです。そうして、ここがとても大事なのですが、「こと(言)」は「もの」から「こと(事)」をつくり出していたのです。
今、身の回りには、実に多くの「もの」が存在しています。例えば、花。そこで、これを「こと(言)」によって「バラ、きれいに咲いていますね」といったとたん、相手の心にバラがきれいに咲いたという「こと(事)」をつくりだしているのです。
古代では、言葉は言霊で、今のように気軽に吐き出すものではなかった。相手の心の中で「こと(事)」を動かしたいときに、「こと(言)」をはじめて使ったのです。和歌がその代表です。
ちなみに「ことわざ」というのは、そういった「言のしわざ」をいうのです。
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