
▲浮月楼の経営に携わり、7代目となる久保田隆さん。「ますます歴史への興味が増しています」

▲大正のころの浮月楼。まだ周囲に高い建築物がない様子が分かる。この後、大火と戦災で消化。庭園は被害を免れる。
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「昔の地図で見ると、この界隈は駿府の町の南のはずれ。町内のかなりの大きさを代官屋敷が占め、残りの区画に町民が居住していた。染め物職人が集まる、比較的静かな町だったのではないでしょうか」と語るのは、紺屋町で「浮月楼」を営む久保田隆さんです。「家康は駿府の町に安倍川から生活用水をひいていますが、水を汚す職種の人は町のはずれに配置した。染め物は水を汚すため、これより先は飲み水にはならない。このあたりは“清水尻(しみんじり)”とも呼ばれていたようですね」。
徳川慶喜は明治2年から20年間、代官屋敷跡に手を入れて居住。その間、勝海舟や山岡鉄舟、清水の次郎長、渋沢栄一などとの交流もあり、慶喜の暮らしぶりなどがうかがわれる貴重な資料も残されています。
旧邸宅は静岡市有財産となり、名蹟保存を条件に払い下げに。「わが家の前には杉本家が経営をひきついでいたのですが、大火と戦災の被害にあい、二度の建て直しを行ったものの財政困難に。売却の計画が持ち上がったのをいち早く知った父とその兄弟が、昭和32年に引き受けることになったのです」。浮月楼が誇るのは、当時日本随一といわれた京都の庭師・小川治兵衛が作り、140年の間、変わることなく美しい姿を保ってきた庭園。伊藤博文や井上馨、西園寺公望も足を運んでいます。「とはいっても、これだけの庭園を維持管理するのは、大変なことです。しかしかけがえのない歴史をひきつぐものとして、当館は`市内迎賓館aの役割を果たしていきたいと考えています」。
久保田さんは、歴史的な資料を徐々に集めて、館内に資料コーナーを設置。静岡の歴史を体感できる絶好の場所として、県外からも注目されています。
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