
▲古いのれんをひろげる佐藤久雄さん。戦災にあった山名屋は、馬場町での酒の製造を断念

▲山名屋の定紋入りの酒徳利
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静岡市の中町から伸びる「浅間通り」は、古くから駿府の人々に愛されてきた、浅間神社の表参道。その浅間通りの、中町の交差点から約三分の二ほどの区間が、馬場町です。
「馬場町には馬場があったといわれますが、浅間神社の廿日会祭などでは、流鏑馬(やぶさめ)などの神事も行れたそうです」。そう言うのは、浅間通りに面している酒屋「山名屋」を代々営み、ご自身が23代目にあたるという佐藤久雄さん。「久能街道や安倍街道など、駿府近郊の道はすべて浅間通りにつながり、浅間神社に至っているんですよ。馬場町と中町が接する鳥居のわきには今も、秋葉の常夜燈が残っています。これは、遠州秋葉神社につづく藁科街道がここにつながっているあかし。それだけ、浅間通りは古来より人が行きかう、にぎやかな要所だったのです」。
佐藤家は「3代目までは徳川に仕える武士だったのですが、4代目が寛政5(1793年)に造り酒屋に転身昔は今の中町から梅ヶ島に通じる道路(安倍街道)はなく、八千代町まで広がる地所を所有していました」。敷地内には蔵が立ち並び、多くの使用人が働く、堂々たる造り酒屋の姿が目に浮かびます。
「江戸時代は浅間通りも道幅が狭く、両側に店が並んでいたそうです。昔は店頭で酒を量り売りし、お浅間さんの参拝ついでに、酒徳利にお酒をつめていく人も多かった。近所には砂糖屋、油屋、そば屋、団子屋など、昔ながらの店が残っていたのを覚えています」
現在も浅間神社の祭事にあわせ、にぎわいを見せる馬場町。「浅間通りの歴史は、この街のかけがえのない特性です。これからの街づくりに生かしていければと思います」。
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