
▲河内庵の歴史を感じる看板は、「戦時中、防空壕の蓋に使われた」と石川寛さん

▲明治時代、浅間神社境内にあった「河内庵」。格式高く、風流な店だったらしい
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浅間神社には、多くの神様が祀られているのを、ご存じですか?たとえば浅間(あさま)神社、神部(かんべ)神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社など。その大歳御祖神社の社前に位置し、浅間通りの、神社側約3分の1にあたるのが宮ヶ崎町、そして、大歳御祖神社こそ、万葉集で知られる`安倍の市aの守護神なのです。
「今の浅間通りは、かなりの面積で広がる安倍の市の中に含まれていたようです。昔は、中町から梅ヶ島につづく道路(安倍街道)が無かったので、麻機や安倍村から人々が物資
を持ち、この道へ集ま
ってきたのです」。万葉の時代からにぎわっ
てきた、わが町に思いをはせるのは、享保元年から宮ヶ崎町でそば店を営んできた「河内庵」15代当主・石川寛さん。「私が子どものころにはまだ、安倍川の流路の一つである小川が浅間神社から、駿府城方面に流れていました。道幅の狭かった浅間通りの両側には、生活用品などを扱う店が並び、にぎやかだったですね」。
そばといえば当時、日本の代表的な食文化の一つ。代々のご主人の中でも、祖父にあたる13代・鑄三郎さんはそば作りに創意工夫をした、文化人だったそうです。「たとえば、そばずしを今日のような形にもしました。また桜葉の塩漬の風味をいかした“櫻蕎麦”を開発し、静岡名物となりました。15代将軍慶喜公にそばをさしあげたことも」。河内庵のそばは多くの文人に愛され、掛け軸や書をいただいたそうですが、残念ながら戦災ですべて消失しました。
「静岡の人は、もっと浅間神社の歴史や魅力を知り、発信してみては」。歴史ある街で代々の店を守る。主人の心意気を感じました。
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